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この過酷な時代において、FFVIIのような物語を持ったゲームが生まれたことは、必然だったのかもしれない。制作スタッフが意図したことなのか、無意識に生み出したものかはわからない。しかし映画やコミックが時代を反映して生み出されたように、FFVIIもこの世紀末にあって独特の「思想」を持ったゲームである。
それはたとえば「癒し」という言葉である。エアリスは星を救うためにセトラの民として命を使った。だが本当に救いたかったのはクラウドや他の人々の精神だったのではないだろうか。
仮にFFVIIの惑星自体が人の暗喩だったとして、精神エネルギーで生きる惑星にホーリーをかけるという行為は、結局我々の精神にホーリーしていることになる。ホーリーが現代でいう「癒し」や「ヒーリング」につながるならば、いま我々に必要なのはまさに聖なる癒しや祈りなのではないか?
我々はここで「時代は『精神性』の段階に入った」と言わねばなるまい。
あまたの新興宗教の問題、「脳内革命」や「エヴァンゲリオン」など自己啓発や自己改革の流行。これは物質や娯楽では補完できない心の暗部を照らすことを目的としている。FFVIIを読み解く大きな鍵は、ゲームというエンタテイメントにあって、そういった捉えどころのない時代への不安や焦燥感や癒しがこの作品のテーマとなって含まれていることである。
我々が星とともに壊れゆく存在か否かは、我々が我々がこの作品を受けて何を考え、行動していくかにかかっている。
FFVIIは幻想的な物語という形を借りながら、現実を生きるための物語を提出した。それは壊れゆく我らへの強いメッセージであったはずだ。
我々にとっての本当の「癒し」とは何なのか? それを見つけたものだけがこの時代を生き残るのかもしれない。
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