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世界を救う話はそろそろやめたほうがいいのでは
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2011.11.09 |
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欧米ゲーム事情では先月、「和製RPGが愛されるのはただの懐古趣味なのか?」というコラムを紹介した。これを執筆したフリーライター/エディターのジェイソン・シュライヤー氏は、和製RPGに向けた新たなコラムで「世界を救うお話はそろそろやめにしては?」と提言している。
大半の和製RPGでは、世界を破滅から救うことが最終的な目的として掲げられていると指摘するシュライヤー氏。小さなお使いから冒険を始めた弱小な主人公が、英雄として成長を重ねていくのはたしかに気持ちがいいけれど、さすがにこのパターンは使い古されている。大仰な台詞を吐く悪者に超自然現象と、現実味のない展開が続き、世界の住人たちへの愛着もわかず、感情移入が難しくなっている。
そこでシュライヤー氏が提言するのは、世界の救済ではなく、主人公個人の旅路に着目すること。個人的なリスクや犠牲、克服すべき障害を増やし、苦闘する主人公の姿にプレイヤーを共感させることだ。
昨年大ヒットした映画「インセプション」は、アクション満載の映画であると同時に、レオナルド・ディカプリオ演じる主人公コブが、帰るべき家を見つけるまでの旅路を描く物語でもある。コブが失敗しても世界は滅びないが、彼の失うものは大きい。だからこそ観客はコブに感情移入できる。西部開拓時代を舞台にしたRockstar社のゲーム『Red Dead Redemption』でも、血塗られた過去と決別し、贖罪を求める主人公の痛ましい旅路にプレイヤーは引きつけられる。寡黙な戦士たちが神に立ち向かう話より、はるかに興味をそそられるというわけだ。
以上は和製RPGだけでなく、同種の目的をかかげたゲーム全般に向けた批判ととらえることもできる。ゲームの物語に魅力を感じてもらうには、大げさな目的はそろそろ掲げないほうがいいのかもしれない。
(中島理彦)
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