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ゲームで泣けるか? そもそもそんなゲームを作ることって…
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2010.07.22 |
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映画なみのグラフィックを誇るゲームが話題になった一昔前は、「ゲームで泣けるか?」みたいな問いをあちこちで見かけたが、今はどうなのだろう。ニュースサイト“EDGE”のSteven Poole記者は、「そもそも“泣けるゲーム”を作るのはそんなに大事か?」とブログ記事で疑問を投げかけている。
1997年の『ファイナルファンタジーVII』以来、ゲームの成熟の度合いをはかるものとして、感情面、とくに“泣ける”ことが重視されるようになった。だが、映画でも、犬や子供を出してお涙頂戴のお話を見せれば、観客の涙腺をゆるませることはできる。なんでそれが、笑いや恐怖、勝利の喜び、美への驚嘆よりも上に置かれてしまうのだろう?
例えば、『メタルギアソリッド4』をプレイしたPoole記者は、長いエンディングムービーよりも、シャドー・モセス島を再訪するステージで強く心を打たれる瞬間があったという。カメラ視点をいじって見下ろしたとき、「懐かしい。俯瞰カメラだ。やはり上俯瞰はいい……」とスネークがしゃべったときだ。
『Far Cry 2』でしっかり作りこまれたジャングルやサバンナをさ迷い歩く体験は、特定の感情を呼び起こす演出より、よほど強く記憶に焼きつく。また『Call of Duty: Modern Warfare 2』でも、シングルプレイ・キャンペーンの映画的ストーリーより、協力プレイする“Special Ops”モードのほうが、友情や緊張、勝利の喜びなどの感情を強く味わえる。
このように、周到に作りこまれたゲームデザインの副産物として感情は豊かに立ち現れる。カットシーンに出てくる3Dモデルの表情のリアルさとか、新型のチップや周辺機器は決して魔法の杖にはならない、というPoole記者。
彼が言うように、今は「プレイヤーをいかに泣かせるか」よりも、「予測不可能な感情の数々を自然に喚起する豊かな世界を、ゲームはどうやって作り出せるか」に課題が大きくシフトしていると考えるべきなのかもしれない。
(中島理彦)
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