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ゲームの主人公は、映画・舞台・文学作品に比べて奥行きがなく… |
2010.04.30 |
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映画や小説と違い、主人公を自由に操れるのがゲームの面白いところ。だがその一方、“ゲームの世界は主人公を中心に回りすぎているのではないか”という批判がある。
この批判を口にしているのは、ニュースサイト“Destructoid”のAndrew Kauz記者。彼はコラム記事の中で「ストーリーテリングの観点から見ると、ゲームの主人公は、映画・舞台・文学作品に比べて奥行きがなく、人格さえない」と断言。『Mass Effect 2』などのゲームをサンプルとして取り上げ、以下の2点を問題視している。
★問題点1:類型に嵌まりすぎの主人公
強面の宇宙兵士や、髪が青くて寡黙な日本製RPGのヒーローなど、ゲームの主人公はあまりに類型に嵌まりすぎている。
プレイヤーが主人公の行動を選べる『Mass Effect 2』でさえ、その行動選択肢の内容は「うるさい市民を殴って黙らせる」「丸腰の人を撃とうとする仲間を止める」と、予想の範囲内。
ゲームキャラは性格設定にのっとって振るまうことが多いが、現実の人間はときに意表をついた行動をとるもの。物語の比重が大きいゲームでは、ストーリーテラーにもっと自由な解釈を許し、主人公に、予想不可能でショッキングな行動をとらせるべきだ。
★問題点2:主人公中心の人間関係
ゲームで描かれる人間関係は、大半が、主人公を中心に構築されている。だが、それは“金魚鉢”のようなもので、中にいるときは奥行きがあるように見えても、外に歩み出すだけで自分のためだけに用意された見せかけだとわかり、興ざめしてしまう。
『Mass Effect 2』に出てくる人間関係は、主人公と自分が選んだパートナーのロマンスだけに限定されている。だが、主人公の関知しないところで、他のキャラ同士によるロマンスが成立してもいいではないか。
……以上を踏まえて、Kauz記者は、現時点では単なる“類型”にとどまっているゲームの主人公と、現時点では“背景と小道具”にすぎないゲーム世界との関わり方を、もっと大胆に発展させてほしいと考えているようだ。
とはいえ、プレイヤーにとっては、心地よくゲームをプレイできることも大事。そのことと、人間描写・世界描写の硬直化を防ぐことのバランスをどう取るのか。これは新たな難題かもしれない。
(中島理彦)
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