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“ドリキャスの息の根を止めたのは私”EA Sportsのムーア氏が回想 |
2008.09.17 |
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マイクロソフト在籍時にXbox 360を北米で成功に導き、昨年Electronic Arts社に移籍して、EA Sports事業部長となったPeter Moore(ピーター・ムーア)氏。気さくな性格でゲームジャーナリストの間でも人気の高い同氏は、かつてSega of AmericaのCEOとして、北米におけるドリームキャスト(DC)の立ち上げに携わったこともある。
そのMoore氏がDC当時の思い出を語るインタビュー記事が、英国の“The Guardian”紙公式サイトに掲載された。
ゲームファンのみなさんもご存じのとおり、DCはセガ・エンタープライゼス(現:セガ)が発表したゲーム機で、日本では世界に先がけて1998年11月に発売。「湯川専務」の広告などで知名度は高かったが、心臓部となるチップの生産の遅れが原因でハードの勢いはふるわなかった。
この状況を見たMoore氏は、アメリカ市場進出が最後のチャンスと奮い立ち、DCのプロモーションを積極的に推進。そして1999年9月9日、同機はアメリカで華々しいデビューを飾ることになる。
「それから18カ月間はすばらしいものだった。DCは大盛況で、これならイケると本気で思ったよ」と語るMoore氏。だが、販売台数は1日に5万台というペースから、6万台、10万台と順調に伸びていったものの、PS2発売の勢いに対抗できるレベルまでは届きそうもなかったという。「日本から届いた販売目標の具体的な数字は思い出せないが、ホリデーシーズンまでに巨額のドルを稼ぎ出し、ハードウェアを何百万台も出荷しないと、このビジネスは維持できないとのことだった」
そして、2001年1月31日、セガはハード事業からの撤退を発表。「どういうわけかこの決断は、日本人ではなく私が下すことになった。大勢をクビにするしかなかった。楽しい日じゃなかったな」と、氏はしみじみ語っている。
ここで興味深いのは、撤退を直接決めたのは自分だとMoore氏本人が語っていること。また、北米ではDCの売れ行きは決して不調だったのではなく、PS2のすさまじい勢いに追いつけなかったのにすぎないことだ。アメリカでは生産中止がいまだに惜しまれているDCだが、氏の発言を見るとそれもうなずける気がする。
(中島理彦)
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