「Branching Paths」アン・フェレロ”半ば偶然も手伝って、2013年の夏にすべてが決まった”|シシララ安藤武博のインディーズを見ずに死ねるか!#37

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小野憲史
2016年09月23日

 スクウェア・エニックスで数々のヒットタイトルをプロデュースし、2015年に独立してシシララを設立。
 現在はゲームのプロデュースを続けつつ、毎週月曜日にニコ生「ゲームDJ・安藤武博の、つくった人がゲーム実況」を配信している安藤武博氏。
 本連載はそんな安藤氏が気になるインディークリエイターを直撃し、普段聞けないいろいろなことをズバリ聞いてみようという内容だ。

 今回のゲストは日本在住でフランス人の映像ジャーナリスト、アン・フェレロさん。
 日本のインディゲームシーンを題材に、今夏配信が始まった「Branching Paths〜A journey through Japan's indie game scene.」の監督だ。
 『Downwell』を筆頭に、本連載でも登場した数々のインディゲームクリエイターが登場する、日本で初めての本格的なドキュメンタリー映画になっている。
 フランス人のジャーナリストから見て、日本のインディゲームはどのように映ったのだろうか。

日本アニメの洗礼を受けた子供時代

★安藤氏:
「Branching Paths〜A journey through Japan's indie game scene.(以下Branching Paths)」公開おめでとうございます。
今までありそうでなかった作品だなあ、というのが率直な感想でした。

★アンさん:
ありがとうございます。
でも、そうなんですか?

★安藤氏:
日本のインディクリエイターにスポットを当てたドキュメンタリーです。
地上波のテレビでゲームについて取り上げられる機会が、最近は激減してしまった。
僕らが子どもの頃はファミコンがすごくブームで、ゲームを扱ったドキュメンタリーもしばしば放映されていました。NHKとかでも。
でも、最近はゲームを遊んでいる風景すら、あまりテレビで放映されなくなった。
それくらいゲームが「当たり前のもの」になったということなのかもしれませんが。

★アンさん:
なるほど。

★安藤氏:
そうした中でゲームの開発風景や、作り手の肉声が、あれだけたたみ掛けるように出てくる映像はこれまで見たことがなかったので、すごく新鮮でした。

★アンさん:
よかったです。

★安藤氏:
ちなみに、アンさん自身も東京に在住されているんですよね。
日本にこられて何年くらいですか?

★アンさん:
ぴったり5年くらいです。

★安藤氏:
昔から日本のギークやオタクカルチャーを追いかけられているんですか?

★アンさん:
学生時代からフランスのテレビ局でアルバイトをしていました。
ギークとオタクカルチャーにフォーカスした独立系のケーブルテレビ局で、自分たちでも番組製作を行っています。
ボスがおもしろいと思えば、何でもやっていいという自由な感じの会社で。
まわりにゲーム好きも多くて、ゲームクリエイターのインタビュー映像を編集したり、翻訳して字幕をつけたり、ゲームレビューをしたり、ゲーム音楽の番組を作ったりもしました。

「Branching Paths」アン・フェレロ”半ば偶然も手伝って、2013年の夏にすべてが決まった”|シシララ安藤武博のインディーズを見ずに死ねるか!#37
▲「Branching Paths〜A journey through Japan's indie game scene.」の監督Anne Ferrero(アン・フェレロ)氏

★安藤氏:
ゲーム音楽の番組って、どんな感じだったんですか?

★アンさん:
「PICO PICO」という番組で、世界中のゲーム音楽のニュースを配信していました。
たまにミュージシャンや作曲者のインタビューなどもやりましたね。

★安藤氏:
ゲーム音楽だけにスポットをあてていたんですか?

★アンさん:
メインがゲーム音楽で、たまにチップチューンも取り上げていました。
「PICO PICO」は私が来日した後も、2年くらい続いたんです。
その頃は私が東京で取材して、映像を編集してインターネットで納品して。
ゲームミュージック専門のDJの方に、頭にパックマンのかぶり物をして出演してもらったりもしました。
その方とは他に、レトロゲームの番組を作ったりもしましたね。

★安藤氏:
ガッツリ、映像関係の方なんですね。
はじめて日本に来られたのはいつでしたか?

★アンさん:
2002年で、まだ学生でした。
当時は別の大学に通っていて、専攻も違ったので、全然日本語が喋れなくて。
まだインターネットでホテルの予約ができなかったので、けっこう大変でした。

★安藤氏:
たぶん普通のフランス人とアンさんとでは、観光スポットといっても違いますよね?(笑)

★アンさん:
はじめに京都に行って、次に三重の名張にある山小屋で住み込みのボランティアをして、最後に大阪を経由して帰りました。
約2週間の旅行でしたが、京都と大阪ではゲームショップやアニメショップなどを回って、すごくお金を使いました(笑)

★安藤氏:
名張とはまた、普通の外国人が初来日で絶対に行かないような場所に行かれましたね(笑)
ちなみに子供の頃から日本のゲームやアニメがお好きだったんですか?
というのも、「Branching Paths」の紹介文を見て、まるで日本人が書いたような文章だなあと思ったんですよ。
「最近日本のゲームのプレゼンスが少し落ちてきて、昔みたいな奇抜なものやチャレンジをあまりしなくなりました」とか。

★アンさん:
ああ、そうかもしれませんね。

★安藤氏:
実際に僕はアンさんの言う「奇抜なゲーム」を作った最後の世代なんです。
たしかに指摘されている通りで、今はいろんな理由で挑戦がしにくくなったと思います。
それを海の向こうの人も同じように感じているというのが新鮮だった。
アンさんも、僕らと同じように日本の「奇抜なゲーム」を遊ばれていたのかなと。

★アンさん:
最初はアニメからでした。
日本コンテンツの輸入のされ方は各国で違いますが、フランスでは1978年に「UFOロボ グレンダイザー」と「キャンディ・キャンディ」の放送が始まり、そこから日本アニメがどんどん放映されるようになりました。
当時は日本アニメのライセンス金額がすごく安くて、フランスとしても自国のアニメを作るより、日本アニメを買い付けてローカライズする方が経済的だったんです。

★安藤氏:
とにかく視聴率がスゴかったという話を聞いたことがあります。
それこそ90%くらいとか。

★アンさん:
そうですね。
ただ、当時はテレビが3チャンネルくらいしかなかったんですよ。
今はケーブルテレビが普及して、チャンネル数もずいぶん増えましたが・・・。

★安藤氏:
なるほど。

★アンさん:
1980年代になると日本アニメがどんどん増えていきました。
「北斗の拳」「聖闘士星矢」といったメジャー作品だけでなく、マイナーな作品もありました。
その中でも「愛してナイト」が好きで、カードも集めたんです。
まだ子供の頃でした。

★安藤氏:
ビーハイヴ(主人公・三田村八重子のボーイフレンド・加藤剛が所属する架空のロックバンド)だ。懐かしいなあ。
「愛してナイト」は僕らの世代は直撃でした。
エンディングテーマ「ぼくのジュリアーノ」にあわせて、運動会で踊りましたよ。
フランスでも人気があったんですか?

★アンさん:
30代だと覚えている人がいると思います。
あとはもちろん「キャプテン翼」に「ドラゴンボール」で、少し遅れて「美少女戦士セーラームーン」も人気がありましたね。
私自身はそのころになるともう、あまりアニメを見なくなっていましたが、週に何十本も日本のアニメが放映されていました。

★安藤氏:
フランスでマニアックな人気を博していた日本アニメ、しりたいなあ。

★アンさん:
「GU-GUガンモ」とかでしょうか?

★安藤氏:
フランスでも放映されていたんだ!

ファンタジーに触れたきっかけは日本ゲームから

★アンさん:
ゲームだと、はじめにゲーム&ウォッチが発売されて、それからファミコンが上陸。
けっこうファミコンが来たのが遅くて、1986-7年くらいでした。

★安藤氏:
日本が1983年でしたから、3-4年遅れたんですね。
それではじめて家庭用のゲーム機がメジャーになったんですか? 

★アンさん:
アタリも発売されていたと思いますが、メジャーになったのはファミコンからですね。
アタリより安かったですし。
それに日本と違い、ファミコンはゲームソフトとバンドルされて販売されていました。
親としてもゲーム機とソフトがセットになっている方が買いやすいじゃないですか。
子供の頃、クリスマスのプレゼントの定番でした。

★安藤氏:
アンさんが子供のころに一番ハマったゲームは何だったんですか?

★アンさん:
実は私の家はゲームと漫画が禁止だったんですよ。

★安藤氏:
ああ、フランスでもそんな感じだったんですね。

★アンさん:
そうなんです。
もっとも、両親が共稼ぎだったので、同じアパートに住んでいる友達の家に入り浸っていました。
そこには同じ世代の男の子と、お姉さん二人の、3人の子供がいて、小さい頃から親交があって。
特に男の子がゲーム機や漫画をたくさん持っていたので、よく遊んでいました。
一番印象に残っているのは、『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』(1991年、スーパーファミコン、任天堂)と、『聖剣伝説2』(1993年、スーパーファミコン、スクウェア)でした。

★安藤氏:
2作ともアクションRPGですね。

★アンさん:
私はゲームが大好きなのに、あり得ないくらい下手なんです。
ゲームショウとかでも、後ろからデベロッパーが見ていて、「嘘でしょ」みたいな顔をされることが多いんです。
その時も私がフィールド担当で、その子がダンジョン担当みたいに、得意なパートを分担して遊んでいました。
特に『聖剣伝説2』はマルチタップを使えば、最大3人で遊べたので、よく友達を誘って、3人で遊んでいました。

「Branching Paths」アン・フェレロ”半ば偶然も手伝って、2013年の夏にすべてが決まった”|シシララ安藤武博のインディーズを見ずに死ねるか!#37
▲シシララ代表・安藤武博氏

★安藤氏:
そういった遊び方は日本でもすごくポピュラーでした。
でも、どうしてその二作だったんですか?

★アンさん:
世界観が好きだったんです。
実際、ファンタジーを知ったのも、日本のアニメとゲームからです。

★安藤氏:
ゲームからファンタジーの原点や、古典に興味を持ったということなんですね。
当然ですけど、その2作品はフランス語にローカライズされていましたか?

★アンさん:
フランス語でしたが、画面に表示できる文字数が限られていたので、たまに文章がわかりにくかったり、文法が変だったりしたところがありました。

★安藤氏:
海外版だとメッセージを短縮しがちですよね。
僕も欧米圏にRPGをローカライズしたことがあるので、わかります。
今は違いますが、当時はメッセージウインドウの拡張が柔軟に作られていないなど構造的な問題があって。
ゲームの翻訳者がテキストしか読まずに翻訳していたので、どうしてもそうなっていたんです。

★アンさん:
私もゲームの翻訳をかじったことがあるので、わかります。
特にそのセリフを喋っているのが誰なのか、男性なのか女性なのか、エージェントに聞いても返事が来なくて、困りました。
ヨーロッパ言語だと男性と女性で言葉が変わるのが普通ですから。

★安藤氏:
そういった問題がありつつも、この二作品に対する思い入れが高かったんですね。

★アンさん:
ストーリー、雰囲気、音楽、どれもクオリティが高くて。
特に音楽が好きで、中学生の頃は好きな音楽をテープレコーダーに録音していました。
テープレコーダーをテレビの近くにおいて、録音ボタンを押して。
でも、BGMだけじゃなくて、必ずSEが入っちゃうんですよね。

★安藤氏:
そこも日本とフランスで同じだったんだ。
録音中に居間にお父さんが入ってきて、もめて泣くとか(笑)
先ほど、アニメはあまり見なくなったと言われていましたが、ゲームは遊び続けていたんですか?

★アンさん:
そうですね。親にスーパーファミコンが欲しいと言い続けました。
でも、やっとスーパーファミコンを買ってもらえたと思ったら、すぐにプレイステーションが出て、えーって。

★安藤氏:
知らなかったんだ(笑)

★アンさん:
プレイステーションは後日、ベビーシッターなどのアルバイトをやって手に入れました。
でも、お小遣いがなくて、1年でゲームを1本しか買えませんでした。
じゃあ『ファイナルファンタジー』しかないよねと。
フランスで最初に出たのが『VII』(1997年、プレイステーション、スクウェア)だったので、それを買って遊びました。
これも中学生の頃です。

★安藤氏:
だから欧米では『VII』が最初の『ファイナルファンタジー』で、今でも人気なんですね。

★アンさん:
アメリカではすでに『I』『IV』『VI』などがローカライズされていましたが、ヨーロッパでは長い間、RPGは売れないとされていたので、『VII』が最初になりましたね。

★安藤氏:
そのほかにどういうゲームを遊ばれてきましたか?

★アンさん:
中学生の頃は友達がPCを持っていて、よく遊んでいました。
やっぱりストーリーがあるゲームが好きで、シエラオンラインやウエストウッドのポイント&クリック型のアドベンチャーゲームをよく遊んでいましたね。
他に『ダンジョンキーパー』(1997年、PC、EA)のようなSLGだとか・・・。

★安藤氏:
ちょっと日本のゲームからは少し離れていますね。
日本のゲームをたくさん遊んでいて、好きが高じて来日、という感じかなと思ったんです。

★アンさん:
ああ、洋ゲーはやっぱり少なくて、メインは日本のゲームでした。
RPG以外だと、パズルゲームが好きでしたよ。
学生になって、ある程度自分でお金が使えるようになると、輸入ゲームを探して遊んで。
『マジカルドロップ』(1995年、アーケード/スーパーファミコンなどに移植、データイースト)や、『マネーアイドルエクスチェンジャー』(1997年、アーケード/プレイステーションなどに移植、フェイス)がお気に入りでした。

★安藤氏:
『マネーアイドルエクスチェンジャー』!それはまた通好みですね。改めてお聞きしますが、どんなゲームなんですか?

★アンさん:
『マジカルドロップ』と同じシステムなんですが、色ではなくてコインを消していくんです。
100円玉を5枚くっつけて500円玉にするとか。
500円玉を2枚くっつけると消せるんです。
計算しながら遊びました。

★安藤氏:
ありましたね。そんなゲーム。なんでアイドルがマネーだったのか?考えるのは野暮ってもんですね。

★アンさん:
学生の頃は日本のゲームがすごく好きな友達がいて、一緒にガレージセールやフリーマーケットで探すようになりました。
ただ、あんまり手に入らないので、みんなエミュレータで遊んでいましたね。
MAMEで「えー、なにこれ」って。

★安藤氏:
日本だと「メイム」じゃなくて「マメ」って呼ばれてます。
でも、アマチュアでお金がないときは海賊版で遊ぶのは、実際はよくあることです。その時タダで遊んだ分は大人になったら払ってほしいわ(笑)でも、そうなりますよね。

★アンさん:
他にドット絵のアートワークが格好いいからといって、インターネットで探してきて、コレクションをしている人もいましたね。
そこから興味をもって、ゲームを遊んだりもしました。

★安藤氏:
特に好きだったものはありますか?

★アンさん:
ブラウニー・ブラウンのゲームが、すごくドット絵が細かくて好きでした。
動きだけだったら『マーヴル VS. カプコン クラッシュ オブ スーパーヒーローズ』(1998年、アーケード/プレイステーションなどに移植、カプコン)だったり。
ネットでGIFアニメなどがアップされていて、ずっと見入ったりしました。

★安藤氏:
ブラウニー・ブラウンは『聖剣伝説』シリーズの開発チームが中心となって設立されたスタジオなので、そこでつながっていくんですね。
もっとも今まで聞いた話の中には、「Branching Paths」の説明文にあった、日本の昔作られていたユニークなゲームたちというのが、あまり出てこないんですが、そういう作品に出会ったのは?

★アンさん:
大学生のころ、レトロゲームの雑誌がフランスで出版されました。
それを片手に、友達とプレイステーションのゲームをコレクションするようになったんです。
一番印象に残ったのは『LSD』(1998年、プレイステーション、アスミック・エース・エンタテインメント)です。
夜、電気を消して遊んだら怖いくらいで。

★安藤氏:
フランスでもそういう評価でしたか?
『LSD』は当時、プレイした人がすごく少ないまさに珍品です。
たぶん日本でも1万5000本くらいしか出ていないんじゃないかなあ。
その頃はもうエニックスで仕事をしていて、社内のゲーム棚におかれていたので、遊びました。
ゲームというよりも、メディアアートみたいな作品ですよね。

★アンさん:
フランス人では、マニアックすぎて、他に誰も知らないかもしれないですね。

★安藤氏:
ああ、そうなんだ。
でも手に入れて遊ばれたわけですね。

★アンさん:
他にも『ファンタビジョン』(2000年、プレイステーション2、ソニー・コンピュータエンタテインメント)、『蚊』(2001年、プレイステーション2、ソニー・コンピュータエンタテインメント、開発ズーム)、『ザ・コンビニ〜あの街を独占せよ〜』(1997年、プレイステーション、ハムスター)『焼肉奉行』(2001年、プレイステーション、メディアエンターテイメント)とか、『とんでもクライシス!』(1999年、プレイステーション、徳間書店、開発ポリゴンマジック)とか。
すごい変わったゲームだなあと。

★安藤氏:
そういうゲームを遊んでいる人はフランスでも少ないですよね。

★アンさん:
相当マニアックな人か、メディア関係者でしたね。

2013年の夏にすべてが決まった

★安藤氏:
それで、年々日本のいろんな文化やオタクカルチャーに興味を持ち始めて、来日されたんですね。
そこから、どういう理由で「Branching Paths」を撮影されることになったんですか?

★アンさん:
「Branching Paths」はものすごい偶然の産物でした。
2013年の夏でいろんなものが重なって、なんとなく決まっちゃったという。

★安藤氏:
そうだったんですか?

■「Branching Paths」release trailer/「ブランチングパス」リリーストレーラー

★アンさん:
オニオンゲームズの木村祥朗さんと共通の知り合いがいて、飲み会でお会いしたのが、そもそものきっかけでした。
その時お互いに、すごく近所に住んでいることがわかったんです。

★安藤氏:
たしかに、それは縁ですね。

★アンさん:
後日、あらためてカフェでコーヒーを飲んで。
ちょうどオニオンゲームズが立ち上がったころで、なにか海外向けの宣伝になるような映像を撮って欲しいと頼まれました。
ビデオブログとか良いんじゃないかなあと話して、最初は普通にオフィスで撮影。
でも、結局それは使わなかったんです。
次に木村さんメインで番組のプロトタイプを2本作りました。
木村さんがいろんなインディ開発者にインタビューをして回るという。

★安藤氏:
最初は木村さんを追いかけていたんですね。

★アンさん:
でも、これはどこにも売れなくて。
撮影した動画を編集して、翻訳をつけて、20分の番組を作るのはなかなか時間がかかるので、ギャラなしでやるのは少しきつくて。

★安藤氏:
一人でやられていたんですか?

★アンさん:
そうですね。
それと前後してCEDEC2013がありました。
フランスのゲームライターで任天堂の専門家の方と、『ゼビウス』の遠藤雅伸さんと3人で、「“日本のゲームが海外に通用しない”なんてウソだ!〜大人気の日本コンテンツの実態〜※なんと日本語セッション!」というセッションに登壇しました。
この講演のためにインターネットを通じてアンケートを行ったんです。
ゲームだけじゃなくて、いろんな質問がありました。
日本の映画監督だったら誰を知っていますかとか。
そうしたら、約6,400人もの方が回答してくれたんです。

★安藤氏:
それはすごい数字ですね。

★アンさん:
中でも印象的だったのが、「今の日本のゲームに何を求めていますか?」という質問に対する回答でした。
「クレイジーなゲームが遊びたい」「日本人でしか作れないようなゲームや、変わったゲーム、インディスピリットにあふれたゲームが遊びたい」という回答がすごく多かったんです。
それこそ、昔の日本の変なゲームみたいな。

★安藤氏:
うんうん。

★アンさん:
そういったこともありつつ、別の企画である製作会社にいって、打ち合わせの最後に先ほどのプロトタイプ番組を見せました。
そうしたら「もっと綺麗なものを作れば良いんじゃないか」といわれたんです。
だったら、日本のインディーズに関するドキュメンタリーを作ればいいんじゃないかと考えて、社内企画として立ち上げました。
ちょうどCEDECが終わって、2週間後に東京ゲームショウが始まるタイミングで。
しかも、はじめて東京ゲームショウでインディーズコーナーができると聞いたので、じゃあそこから撮り始めようと。

★安藤氏:
ホントにいろんなことが立て続けにおきたんですね。

★アンさん:
全部あわせても2ヶ月くらいですね。

★安藤氏:
その頃、インディゲームに対する知識は、けっこうあったんですか?

★アンさん:
同人ゲームという言葉は知っていましたが、日本にどんなインディゲーム開発者がいて、インディシーンがどうなっていたのか、全然知りませんでした。
東京ゲームショウに行って、ブースを見て回って、どんな人がいるか調べて。
木村さんに知り合いの方を紹介してもらったりもしました。
その後も普通にイベントに行って、おもしろそうなゲームがあったら、制作者に話しかけて、インタビューして・・・という繰り返しで取材しました。

★安藤氏:
たしかに、この2年といえば東京ゲームショウでインディーズのブースができたり、BitSummitや東京インディーフェスが始まったりした時期でした。
インディゲームの取材をはじめるには、一番良いタイミングでしたね。
映画の中でもたくさんの方が登場されていますが、最終的に何人くらいの方に取材されましたか?

★アンさん:
全部で80人くらいの方にインタビューしました。
短いものだと一回の取材で十分くらい、長いものだと90分くらい費やしています。
そのため、最初の編集バージョンは6時間くらいになってしまって。
そこから削っていくのが大変でした。

★安藤氏:
そこまで徹底して日本のインディシーンを取材されたのは、日本人でも例がないでしょうね。
率直に、どのように感じられましたか? 

★アンさん:
インディーズになったきっかけとして、3種類あるなあと思いました。
大手ゲーム会社をやめてインディーズになった人。
昔から同人ゲームやフリーゲームを作っていて、今もその流れで作っている人。
何の背景もなく、いきなりインディゲーム開発者になった人。

★安藤氏:
この連載も1年ちょっとやっていますが、見事にその3パターンですね。
そして、3番目のパターンの、『Downwell』(2015年、PC・スマートフォン、Devolver Digital)を作ったもっぴん君からこの連載が始まったんですよ。
彼の経歴がすごくユニークで、この連載にのめりこんでいきました。

★アンさん:
私としては逆で、大手ゲーム会社から独立してインディになった人が多かったのが印象的でした。
そういった方々は、それまでの経験を引き継いでいて、企画書も仕様書も細かく書いて作られていましたね。
また、インディゲームと並行して受注開発も続けられている方が多かったのも特徴でした。
全部インディだけでやるのはすごくリスクが高いですし、特にスタジオを作ったら他人の給料や家賃を払わないと行けないので、すごくプレッシャーを感じられている人が多かったです。

★安藤氏:
この連載に来てくれた方々にも、その2パターンがありました。
インディだけやっている人は、貯金を少しずつ切り崩しながら作られている方もいますしね。
受注開発をした方が安心して開発に打ち込めるのも事実です。
CEDEC2016でヘッドハイの一條貴彰さんたちが議論されていたように、本当に全部インディに賭ける覚悟があるか否かという問いかけもあります。
そういう意味では、今はインディにとっての「Branching Paths」です。

★アンさん:
あとはプラットフォームや収益化の考え方とか。
会社でやっている人と、一人でやっている人では、マネタイズについて考え方の差がありました。

★安藤氏:
僕自身も大手にいたので、よくわかります。
実際に無料でゲームを遊ばせるというのは、趣味やサークルでやることだと思っていましたから。
今となってはF2Pや広告モデルも一般的ですが、最初は怖かったです。

★アンさん:
もともとフリーゲームを作っていた人と、そうでない人でも、考え方に違いがありました。
つまり一口にインディゲームといっても、ものすごくいろんな考え方、いろんな属性の方がいるんですが、みんなおしなべて厳しい環境で作られていて。
そうした中で『アスタブリード』(2013年、PC/プレイステーション4などに移植、えーでるわいす)を作っている「なる」さんとかは、すごいお金持ちじゃないけど、ゲームだけで生活されていますよね。
これはすごいことだと思います。

★安藤氏:
そうですね。
最近はゲーム開発だけで生活されている方も、けっこう出てきていましたね。
この連載にでてくれた方だと、『Block Legend』(2014年、スマートフォン、Hanaji Games)のアルヴィンなんかもそうだし。

★アンさん:
でも、そうした人はみんな海外でゲームを売っていますね。
一人だったらなんとかなるかもしれませんが、会社だと難しい。

★安藤氏:
海を渡らないとビジネスとしてスケールしにくいというのは、その通りですね。
もっぴん君との対談でも、インディで活動するんだったら、英語は絶対に必要になるという話が出ました。

★アンさん:
日本と海外ではユーザー数もゲームメディアの数も違います。
全部をあわせたら評判がさらに大きくなるし、SNSとかを使えばもっと盛り上げられますから。

日本のインディはレガシーに縛られている?

★安藤氏:
思いがけずゲーム作りのバックグラウンドや、製作体制の話になりましたね。
これだけでも、すごくおもしろいんですが、ゲームの中身自体はどうですか? 
というのも、海外のインディゲームでは世界設定や音楽ですごく刺激的なものが出てきていて、PVを見るだけでワクワクするんです。
音楽ひとつとっても、ヴィンセント・ギャロの映画に出てくるような、ノイズミュージックがふんだんに使われていたりする。
ドット絵をうまく使いながら、ポップにバイオレンスな表現をしていたりする。
個人制作の映画にも似た、作家の個性のようなものをすごく感じるんですよ。
日本のインディゲームはまだそこまで到達していない感じがしていて。
アンさんから見ていかがですか?

★アンさん:
取材中に日本人からも外国人からも、よくそういうコメントが出ました。
日本人にとってファミコンや2Dゲームに対する憧れがまだ大きくて、そこから離れるのが難しいのかもしれませんね。
レガシーが重たいというか。

★安藤氏:
成功体験というか、インパクトがものすごくあったし。
ファミコンを創り出した国ですからね。
そこに縛られちゃっているところがあるのかな。

★アンさん:
もちろん2Dゲームの方が作るのが簡単ですし、世界中でドット絵のゲームが存在します。
でも、日本のゲームには「磨いて、磨いて、磨き続ける」といった感覚がありますね。
シューティングゲームには、まさにそういったところがあります。
別の方向をやってみようとか、ある要素を生かして新しい方向に挑戦するようなことについては、まだ少し時間がかかるかもしれません。

★安藤氏:
なるほど、おもしろいですね。

★アンさん:
あとは萌え系のゲームが多いですね。
主人公が可愛い女の子だったり。
「Branching Paths」には、あまり登場しませんでしたが。

★安藤氏:
たしかに、極端に少ないですね。
それはアンさん自体が排除していったのか、自然と取材をしていてそうなっていったのか。

★アンさん:
別に意識して排除したわけではありません。
たしかに同人ゲームには萌え系ゲームが多いですが、取材した範囲では、主人公が可愛い女の子じゃなくてもいいという人が多かった気がします。

★安藤氏:
アンさんが取材して、これこそ日本人が作るべきゲームってありますか?

★アンさん:
やっぱり『アスタブリード』は、THEジャパニーズゲームだと思います。
トレジャーの『斑鳩』(2001年、アーケード/ドリームキャストなどに移植/トレジャー)のような雰囲気を受けました。

★安藤氏:
話をしていてトレジャーとか、『斑鳩』とか、そういう単語がバンバン飛び出すところが、とても刺激的です。
確かにそうですよね。
ああいうシューティングゲームは日本のお家芸というか。
いまだに熱狂的なファンがいますからね。

★アンさん:
あとは『LA-MULANA』(2011年、Wii、NIGORO)とか。
『Rick Dangerous』(1989年、Amigaなど、Rainbird Software)という遺跡探検のゲームに似ていますが、日本のアクションゲームらしいシュールな表現がありますし。
動きとか、細かいところが日本人らしいですね。

★安藤氏:
オニオンゲームズの木村さんの作るゲームも動きがユニークですよね。
『勇者ヤマダくん』(2016年、スマートフォン、DMM、開発オニオンゲームズ)とか。
あれこそ日本らしいドット絵という気もしますが、どうでしょう。

★アンさん:
『勇者ヤマダくん』は日本人にしかわからないネタが多いという点でも、日本らしいゲームかもしれませんね。
そもそも海外では『ドルアーガの塔』(1984年、アーケード/ファミコンなどに移植、ナムコ)はそんなに流行っていなかったので。

★安藤氏:
言われるまで気づきませんでしたが、たしかに『勇者ヤマダくん』には『ドルアーガの塔』のエッセンスがありますね。
そうか、『ドルアーガの塔』は海外では流行らなかったんだ・・・。
日本ではアーケードで流行った後にファミコン版が出たけど、海外ではいきなりファミコン版だったからかなあ。

★アンさん:
そうかもしれませんね。

★編集部:
先ほど『アスタブリード』が日本らしいゲームだと言われたのは、捉え方に対する文化の違いもあるんでしょうか?
たとえばアンさんはフランスらしさ、日本らしさを、どんなところに感じますか?


(以下次回)

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