板垣氏:
最初の仕事は新人研修を受けることでしたね。もともと企画志望だったんですが、新人研修中にプログラムを書けることが会社にバレまして、プログラマにされてしまいました(笑)。そのかわり「好きなジャンルに就かせてやる」と当時開発部長だった中村(現・テクモ代表取締役社長)が言うんで、「シミュレーションゲームをやらせてください」と答えました。「おおそうか、それならちょうどいいのがあるよ」と配属されたのがSFC版『キャプテン翼4』……。まあ一応スポーツシミュレーションではあるんですが(苦笑)。自分がやりたいのは「ウォー」シミュレーションだとちゃんと言えば良かったですね。
そのあとは、ずっとSFCのグラフィックプログラマをやってました。『TECMO SUPER BOWL』はGENESIS(メガドライブ)版と2ラインで同時開発していて、競作のような感じで作っていたので楽しかったですね。プロダクトマネージャーにGENESISで絶対に出来ないことをやってくれとオーダーされたので、素直にいろいろとやってしまいまして。誰にでも分かるようにSFCにあってGENESISにはない機能を使いまくったんですが、おかげでGENESISのプロダクトマネージャーに目をつけられてしまいました(笑)。
リーダーとして最初の仕事は、アメリカ用の業務用プロジェクトだったんですが、見事に大失敗。どの程度の失敗かというと、一日のインカムが1ドルとか、そういうレベルです。遊びじゃなくて技術主導で作っちゃったのがいけなかったんでしょう。1年間かけて作ったものが発売されないというのは結構ショックでした。ただ、あれが良い経験になったのかなと今では思いますが。
次の仕事というか、最後のチャンスとして与えられた仕事がセガの業務用基板「MODEL2」を使ったプロジェクトです。命令の内容は「No.1の格闘ゲームを作れ」というシンプルなものでした。型落ち基板でNo.1と言われても困るんですが、まあ贅沢を言ってられる立場ではないし、非常に分かりやすい仕事なので引き受けました。それで作り始めたのが『DEAD
OR ALIVE』シリーズと言うわけです。意味としては「生死を問わず」ということですが、そのときはそういう気分だったんで、『DEAD
OR ALIVE』という名にしました。
今になってみれば最初のアメフトが失敗してよかったなと思いますよ。あれが売れてたら今頃『フットボールファイター2K3』とか作ってたかもしれませんからね(笑)。
板垣氏:
MODEL2基盤を使ったときからセガさんとはずっとお付き合いさせていただいてるんですが、杉野さんとはじめてお会いしたのは、たしか『DEAD
OR ALIVE2』をNAOMI基盤用に作っていた頃ですね。うちの兼松(テクモ執行役員)の紹介で飲みに行きまして、それ以来飲み友達です(笑)。
このあいだも、この「友達の輪」企画にかこつけて、ずいぶん遅くまで飲んでました。杉野さん、あんとき言った事は全部マジですからねー!